前回の古本市の週に行われた、定有堂店主(奈良さん)による講演会も大変魅力的でありました。「本屋の仕事」という題でおよそ2時間半にわたり、お話しいただきました。
何かを始めるにあたっての初発衝動を大事にせよとのお言葉や、エンパシーとシンパシーについて、前者は苦手だけど出合ってしまうものであり、後者はびびっとくるものである、とのご発言に興味を惹かれました。その後気になり、辞書を引いてみたところ、「empathy(共感、感情移入)」「sympathy(同情、思いやり、共感)」とありました。…ますます混乱してしまったのですが、まあ当たり前のことなのかもしれないなあと思いました。
言語が違うということは背景や文化・環境が違うということで、まったく同じ意味を有する他言語というのは存在しないのだということをどこかの本で読んだからです。例えば、tree=木と当然のようにおもうものだと思いますが、果たしてそれが我々日本人のイメージするものと、英語圏の人々がイメージするそれと一致するか、ということです。気候が違えば生育するものも違います。だから英単語にしてもまったく同じ意を探すのではなく、概念をとらえていくことを意識する必要があると私は考えています。
さらっと話を戻しますが、このempathyとsympathyの概念を今後考えていき、奈良さんのことばの意味と照らし合わせて理解を深めたいと感じました。
このような貴重な機会に恵まれましたことを、大変ありがたく感じます。つぎの更新はいつになるかわかりませんが、ではでは。
言語が違うということは背景や文化・環境が違うということで、まったく同じ意味を有する他言語というのは存在しないのだということをどこかの本で読んだからです。例えば、tree=木と当然のようにおもうものだと思いますが、果たしてそれが我々日本人のイメージするものと、英語圏の人々がイメージするそれと一致するか、ということです。気候が違えば生育するものも違います。だから英単語にしてもまったく同じ意を探すのではなく、概念をとらえていくことを意識する必要があると私は考えています。
さらっと話を戻しますが、このempathyとsympathyの概念を今後考えていき、奈良さんのことばの意味と照らし合わせて理解を深めたいと感じました。
このような貴重な機会に恵まれましたことを、大変ありがたく感じます。つぎの更新はいつになるかわかりませんが、ではでは。